●「若者のクルマ離れ」は一部 女性や地方部では購入意向高い
http://www.news-postseven.com/archives/20140617_261534.html
一時期、若者のクルマ離れが叫ばれておりましたが、こちらの記事によれば「若者のクルマ離れ」は一部であり、女性や地方部では購入意向は依然として高いと分析されています。この記事から、若者の趣味・興味の優先順位がクルマではなくなった、ということが読み取れます。言い換えればクルマは欲しくとも趣味にはならない、ということですね。
仲良くしている国産車ディーラーの営業さんによれば、昨今のお客さんは性能とかデザインはどうでもよくて「全部でいくらなの?」というノリが大半だそうです。こういう話を聞くにつれ、オイラ的には若者どころか民衆の「心」がクルマ離れしている、というのが正しい現状解釈だろうと思ったりします。
では何故、クルマ離れが起きてしまったのでしょうか。昔に比べてクルマが高価になったからとか、収入が減ったからとか、クルマ以外の趣味が優先されているとか、どれも納得できる理由だけれども、オイラ的には国産自動車メーカーの怠慢が根本原因だと考えます。大雑把にいえば「クルマは必需品だから、きちんと動きさえすればデザインとか中身云々はそれなりで十分、それでも売れるから」という考えが根底にあるのだと思います。
国産車のクルマ作りといえば
・薄利多売が大前提
・4年に一度モデルチェンジをし車名を簡単に変えてしまう
・何度見てもすぐに忘れ去るデザインの車を平気で売り続ける
大半の車種がこんなイメージです。
どこにクルマ作りに対してプライドがあるのでしょうか?
あるのなら言い訳してくれよと思います。
で、国産メーカーは最も重要な事柄を蔑ろにしてきたと思うんです。それはズバリ「日本における自動車文化を育ててこなかった」こと。日本の場合、他の事物においても当てはまるものが多々ありますが、色々なものに飛びつくのは結構だけれども熱が冷めるのも早く、文化として育てることにとにかく無頓着です。で、国産メーカーは自ら熱を冷ましています。
1980年代、スーパーカー、F1、WRCといったブームを作ったけれども、バブル終了と共にそれを民衆の憧れであり続けるように継続する努力を止めてしまいました。ホンダなんかは特に酷くて、あれだけ賑わせたF1を辞め、NSXやS2000などのスポーツカーを辞め、ファミリーカーだらけにしてしまいました。本田総一郎は草葉の陰から泣いているだろうよ。アイルトン・セナが生きていたらガッカリを通り越してアンチ化していたかもよ。ホンダよ、恥ずかしくはならんかね?(ようやく最近NSXを復活させたがいつまで続くやら全然信頼できんよ)
一方でリニアリティに欠けるATやCVTの普及に全力を注ぎ、誰でも簡単に動かせる便利な道具にして、クルマから感性を刺激する楽しさや趣味性をどんどん奪っていきました。おかげで手頃で楽しいMT車に乗るなら選択肢が輸入車しかありません。いくらなんでも異常ですよ、こんな状況は。大人の趣味にできない移動の道具に成り下がるなら、その子供だってクルマに興味など持つわけがありません。身近にあるクルマでは、その楽しさを伝えられないのだから。こうなってしまうと年を重ねて育まれる文化には成りようがありません。
利益追求を最優先にして国産メーカーの目指してきたのは「クルマの形をした白物家電作り」としか思えません。面白くも何ともないです。メーカーの開発者にはクルマ好きな人もいます。しかしジャッジを下す経営幹部がアホだから、そういう人材を活かせないのでしょう。今や国産メーカーで良心が残っているのはマツダとスバルくらいじゃないでしょうか?
この記事を国産車メーカーの人間が見て腹を立てたいのなら、いくらでもどうぞ。そのエネルギーを魅力的で楽しいクルマ作りに向けてくださいな。
▼少年の憧れだったランボルギーニ・カウンタック。この頃は夢があったね。

以上、車好きのぼやきでした。
SEEEE YOUUUU !!
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